夢の扉の開き方−明晰夢 pt1  (2013.4.18)
2013年4月12日金曜日、午前5時38分。
僕はすごく不思議な夢を見ました。

それはすごくすごく不思議な夢でした。

その夢の内容と、それに関する考察について、2部に分けて書いてみます。
他人の夢の話ほど聞かされて面白くないものはないので、全くの自分自身のための個人的な記録文書ですが、この夢を見たことがあまりにも衝撃的だったので、書いています。

それでは、まずは夢の内容から。


はじまりは、テレビドラマの録画鑑賞

これは僕の見た夢の中の話です。
僕は暗い部屋で、ベッドで寝ころびながら、一人でUSBハードディスクに録画したテレビドラマを見ている。僕は過去にこのドラマを1度見たことがあるので、このドラマのストーリーを全部知っている。

ドラマの前半は退屈なので、早送りしながらドラマを見ていたが、USBハードディスクの転送スピードが間に合わず、画面がカクカクカクカクして何が何だかわからない。白いUSBハードディスクのオレンジ色のアクセスランプがパチパチ付いている。でも、僕はそのドラマの前半には興味が無かったので、きちんと見れなくても構わない。ボーっとそのカクカクした映像を眺めていた。そのうちカクカクが収まってきて、だいぶんとスムーズな画像になって、そしてやがてきちんとドラマを見れるようになった。

この夢の中では、僕はそのドラマの主役でもあるし、また同時に過去に一度見たことのあるそのドラマを(自分が主役を務めているドラマとしてではなく一視聴者として)見直している単なる1視聴者でもある。
2つの立場の僕が居て、僕の夢の中では瞬間瞬間で僕の立場が切り替わる。

そのドラマでは、高校生の時の仲良しグループ5-6人が出てくる。僕はそのうちの1人で、このドラマの主役。主役である僕は頭が良いからか周りの友達から「神」と呼ばれている。そして僕の友達の1人も同じく「神」と呼ばれていて、僕たち2人合わせて、ほかの友達からは「神々」と呼ばれている。仲良しグループの後の3-4人も僕たちの友達。おとなしそうな子や、僕たち神々の取り巻きっぽいキャラの子もいる。クラス内は全員男だから男子校かな?なんか友達同士でも実はいじめがあったりとか、複雑な人間関係もあるような、ドラマ設定だった気がする。

ドラマではやがて、その高校生たちが大人になった場面に移る。「高校の時あんなのだったあいつが、今はこうなってるんだ」というような話の流れ。大学も卒業して仕事をバリバリ始めた、大人になった高校生の仲良しグループ5-6人が、同窓会のノリで誰かの家に集まっている。5ー6年ぶりの再会。ウケ狙いで高校の時の名前入り半そで体操服を着てきたヤツも2人いる。2人とも、高校の時よりかなり太って、体操服がキツくて、おなかがはみ出ている。「かなり太ったなー」、とか、みんなで言い合っている。

医者をしている友達、獣医師をしている友達、自営業の友達。ドラマは仲良しグループの今の日常の仕事場面の映像を交えながら、内輪の同窓会での久々の再会を描きだしていく。視聴者である僕は、大人になった主役がどんな仕事をしているのかわからない。主役はその場にはいるものの、ドラマでは「主役の現在」について特に言及されないので、視聴者である僕には主役である僕の現在の職業がわからない。

ドラマの主役である僕は、そのドラマの主役を演じながら、「なんかいろいろ、俳優業も難しいな」と思ったりする。ドラマでは良い役や悪い役、平凡な役、お調子者の役・・・いろんな役割設定がある。またはにかみ笑い、苦笑い、無表情・・・表情1つ作るのもなかなか難しい。周りの俳優はみんなけっこううまくやってるな、と思ったりしながら、僕はそのドラマの主役として、周りの俳優の演技を見ている。

ドラマの場面が変わって、どこかの公立体育館で行われている幼稚園〜小学生低学年向けの体操教室。

主役である僕には幼稚園の年長の娘が一人おり、週に1回、午後に体操教室に通っている。今日は僕が子どものお迎えに来た。

体操教室の先生は西田敏行。ただし彼は本来は体操教室のマネージメント役で、実際にメインで教えている体操の先生は若い女の先生をなんだけど、今日はその女の先生が居ないので西田敏行自身が子供たちに体操を教えている。実はその若い女の体操の先生は近々結婚するので、結婚準備で忙しくなって、先週の体操教室が終わった後に急きょ辞めてしまった。だから今日はいない。

視聴者である僕は、その急に辞めた若い女の先生が、今日の夜に、僕の娘にお別れの挨拶をしに、主役である僕の自宅に突然来ることを知っている。視聴者の僕にとってはこれはすでに一度見たドラマなので、そういう筋書きであることを知っている。今日の夜にドラマの中の僕の娘は、突然体操の若い女の先生が訪ねてきてくれて、かなり長時間遊んでくれたりもして、とても喜ぶことになる。

とにかく今は子供のお迎え。ドラマは広い体育館をまずズームアップで写し、そこにいる20人程度の子どもたち(全員現実社会での僕の娘が通っていた幼稚園の体操着を着ている)を写し、そして周りで座って見ている3人の付添のお父さんたち(3人のパッとしない中年俳優達)を長い間映す。

視聴者である僕は思う。普通、仕事をしてればお父さんはこんな付添いになかなか来れないんだよね。実社会では付添はお母さんばっかりなのに。このドラマの作者は子供を持ってないんだな。だからそういう現実を知らないんだな。しかもお父さん3人が楽しそうに、子どもの体操そっちのけで3人の井戸端会議の世界に入ってるけど、子どもの付添でお父さんが来るときはお父さん同士でそんなにしゃべらないよ。だいたい、お互いちょっと距離を置いてそれぞれ黙って子供の体操を見ているか、もしかしたら少ししゃべったりもするかもしれないけど、井戸端会議のように固まってひたすらしゃべり続けはしない。それはお母さん同士のすることだ。

それからカメラの目線はぐるっと体育館の中をゆっくり一周して出口に向かう。実はけっこうお母さんたちが付添に来ている。少なくともお母さんの数がお父さんよりは多い。やっぱりそうだよね。このドラマの作者もある程度実情を知っていたんだな。

でもカメラは付き添いのお母さん達を素通りする。別の新しいお父さんが3人くらい、入り口からお迎えに入ってきたところで、カメラはまた止まってお父さんのお迎えをじっくり映して強調する。そのあとでお迎えに入ってきたお母さんたちはまた素通り。なぜ、このドラマはお父さんたちの付添を強調したいのかな?何か「男親も子育てにもっと参加すべき」等の社会的意図があるのかな?視聴者である僕には、このドラマの作者が男の付添を強調したい理由がよくわからないが、まあそれはどうでも良い。

体操教室が終わって、主役である僕は、子供を引き取り、体育館を出た。体育館を出たところに居るのは僕と、Mさんと、僕の子どもと、Mさんの子ども。僕とMさんは同じアパートに住んでいる顔見知りだ。僕の子どもはおそらく現実社会での僕の子どもで、Mさんの子どもはきっとKちゃんだが、このドラマではあまり子どもたちは強調されていない。そこには確かに僕の子供が居るけど、僕もあまりそれが自分の子どもだと意識しないし、カメラも特に僕の子供に注目しない。だからあまり印象にない。

視聴者である僕は、Kちゃんが以前、お姉ちゃんと遊んでいたシーンをドラマで見たことがある。そうそう、Kちゃんにはお姉ちゃんが居るはずだ。そこで主役である僕はKちゃんに、「Kちゃんは確か、昔お姉ちゃんがいたよね」、というような話をする(このあたりから視聴者である僕と主役である僕が混在してきている)。Mさんが、「そう。でも死んじゃったの」。という。そして、「ねー。」とKちゃんに同意を求める。主役である僕はKちゃんのお姉ちゃんの死を知らなかった。だから聞いてはいけない質問をした気がして、どういうリアクションをして良いかわからずに、Kちゃんにとりあえず「寂しくなったね」。と言う。

視聴者である僕は思う。Kちゃん、大丈夫。今日の夜には体操の先生が家にきてくれるよ。体操の先生は主役である僕の家に来た後でKちゃんの家にも行って、いっぱい遊んでくれることになっている。視聴者である僕はこのドラマを一度全部見たことがあるから、筋書きを知ってるんだ。

主役である僕と、僕の子供は、Mさんの大型の紺色の車に乗せてもらって、みんなで自宅に戻る。車の中の記憶は一切ない。

車は主役である僕の家を500mくらい通り過ぎて停まる。そしてMさんが、「買い物して帰るからここで降りる」と言って、車を降りて自宅とは逆の駅の方に、子供を残して1人で歩いていく。駅にはスーパーが入っているので、そこで夕飯の支度を買って帰るようだ。

主役である僕たちもそこで全員車を降りる。すると今まで僕たちが乗ってきた車が走り去る。
視聴者である僕は、「あれってMさんの車じゃなかったんだ。誰か別の運転手が居たんだ。」と思う。

車を降りた場所は、自宅であるアパートを通り過ぎて500mくらい行ったところ。自宅と、最寄りの駅とのちょうど中間あたり。主役である僕は思う。僕たちはなぜ自宅で降りなかったんだろう。自宅前で僕たちだけ降りて、Mさんはそのまま車で駅ナカのスーパーまで行けばよかったのに。きっとMさんは、自宅とスーパーとの中間でみんなが降りて、そこから別れる方が公平だと思ったんだな。

僕の子供とMさんの子どもは、「じゃー家に帰る」、と言って2人で走って家に帰って行った。Mさんが買い物に行き、子どもたちが家に帰り、主役である僕一人がその場所に取り残された。


本当の自分

(ここから、ドラマの主役である僕と、ドラマの視聴者である僕に加えて、現実の世界の自分の意識が自分の夢の世界に入り込む)


ドラマの主役でも視聴者でもない本当の僕は、ドラマの都合でこんなところに急にポツンと一人取り残されて、上手く家まで帰れるか、ちょっと不安になる。僕はとても方向音痴なんだ。
でも大丈夫。きっと僕は、一人で家に帰ることができる。

本当の僕は自分の家の場所をよく知っている。これはドラマの視聴者である僕がすでに見たドラマだし、なにしろこの舞台は本当の僕が以前実際に長く住んでいたアメリカのアイダホだから。僕の家は、目の前の大通りを渡って(そこには大きな黄色い壁のビルがある)、そしてまっすぐ今車で通ってきた道を500mくらい戻って、右の小道に入ってすぐのところのアパートだ。

ここから家まで帰る道の途中に、ウインコという大きなスーパーマーケットがあるはずだ。Mさんも駅ビルのスーパーまで行かずに、ウインコで買って帰ったらよかったのに。家までの帰り道だし。安いし。駅ビルのスーパーよりとても大きいし。


そして・・・・


そして夢の世界に


僕はここで、大きな実験をすることを決意した。

よし。ウインコに行こう。このドラマではこの後、主人公である僕はウインコなんかに寄り道せずにそのまま家に帰ることになっているが、この僕自身の夢を、現実の僕が乗っ取って実験しよう。

僕は、現実の世界では、いま宮崎に住んでいて、自分のアパートで寝ているはずだ。そしてこの夢を見ている。でも僕の意識は今、何故かこの自分の創り出した夢の世界の中に入り込んでいる。僕は今、すごく特殊で素晴らしい体験をしている。

この状況の中で、僕は自分の意志で、ここからほんの200m程度離れた場所にあるウインコの店内に入る。これは僕自身に対する挑戦だ。

この世界は僕の夢の中なので、今のこの周りの風景は、僕自身の頭が描きだしたものだ。
僕が自分の夢の中でウインコの店内に入ったら、僕は僕自身で僕自身にウインコの店内を見せてあげなければいけない。そもそも記憶力のとても悪い僕は、もう何年も行っていないウインコの店内を、細部まで覚えてるのだろうか?僕は僕にウインコの店内を見せてあげることができるだろうか?

ちょっと自信が無いけど、きっと大丈夫だ。ウインコに行ってみよう。夢の扉は開いている。僕はこうして自分自身の夢の中に入って、自分で主体的に考え、行動している。この実験がもし成功したら、これから僕はいつでも自由に現実の世界と夢の世界を行き来できる。宮崎に居ながら、夢の世界でいつでもアイダホのウインコに遊びに行ける。

ただしウインコに入ったら、絶対にウインコのものを触ったり買ったりしてはいけない。バックトゥザフューチャーで、過去の世界に関われば現在の世界がおかしくなるように、僕が自分自身の夢の世界に関われば、何か良くないことが起こりそうだ。夢の世界と現実の世界のバランスが崩れておかしくなってしまったり、せっかく開いた夢の扉が閉ざされたり、するかもしれない。この世界と必要以上に関わるのは危険だ。ウインコに行っても、僕はその中の商品を一切触らず、ちょっと店の中を覗いてみるだけにしよう。絶対に、見てみるだけだ。


そして、僕はウインコに入った。

僕はしっかりと店の中を見た。今僕が見ているウインコの店内風景は、僕自身が頭の中で夢として描いたものだ。僕はきっちりウインコの店内を覚えているだろうか?そしてきっちり夢の中に再現できているだろうか?

僕は店の中の隅々まで移動し、しっかり確認した。よし。上手くいっている。とてもうまくいっている。僕は今、完璧なウインコの店内にいる。入ってきた入口もウインコそのものだ。店内の通路も一つ一つ確認したが、どの通路の売り場も完璧だ。今入ってきた南側の入口に加えて、ちゃんと閉鎖中の北側の入り口もあった。北側の入口は長らく使われていなくて、外には確かチェーンが張られているんだ。北側の駐車場もチェーンが張られて車が入れないはずだ。だから店内側から見た北側入り口付近は、電気も暗く、ひっそりしている。僕はこういうところまできっちり覚えていて、夢の中できっちり再現できている。

自分の夢の中に入り込んだ僕の意識は、自分自身の記憶力と再現力に満足した。

でもここで安心してはいけない。もっと丹念に、全ての通路を再度チェックしないといけない。なにしろ記憶力の悪い僕の夢だから、パッと見は完璧でも、通路の奥がぼやけていたり、棚に陳列された商品の細部がぼやけていたり、するかもしれない。

僕は店内の全ての通路をもう一度じっくりとチェックした。肉売り場も、牛乳売り場も、パン売り場も、スリッパ売り場も、文房具みたいなのを売ってるところも。そこは完璧なウインコの店内だった。全くぼやけてないし、現実のウインコと一切たがわない。僕は今、夢の中で完全なウインコの中に居る。ウインコ、なつかしー!!


そして・・・・

僕はここで、さらに大きな実験をすることを決意した。

よし。このウインコで、買い物をしよう。そして僕がこの夢の世界で買ったものを、現実の世界に持って帰ろう。

こんなことは果たして可能なのか?僕が宮崎で寝ていながら、自分の夢の中でアイダホのスーパーマーケットで買い物をして、その夢の中で買った商品を現実の世界に持ち帰ることは可能なのか?そのためには、夢の世界から現実の世界に、物を移動させないといけない。

なかなかこれは、いくらなんでも不可能っぽい気がする。夢の中のアイダホと、夢の外の宮崎の間には、非常に大きな壁がある。でも、もし僕がその壁を超えることができれば、これはとてもすごいことになる。なかなか言葉で表現できないほどのすごいことだ。多分世界初だし、今の物理学の理論を一切ひっくり返すことになる。この実験が成功すれば、僕はいつでも気軽に夢の中でアイダホのスーパーで買い物ができる。しかも夢の中で買ったものを、現実の世界で実際に手にすることができる。僕が目覚めると、買った商品がそこにある。お金を一切支払わずにいくらでも物が買えるし、お金を稼ぐ必要が無くなるので働く必要も無くなる。これは、すごいことになってきた。

ということで、僕は買い物をすることにした。そして黄色い買い物かごを探した。黄色い買い物かごは、さっきまでは店内通路のいたるところに積んであったのに、いざ探すとなるとなかなか見つからない。入口付近でやっと見つけた買い物かごには、水がたまっていた(その買い物かごは、何故かプラスチック製の黄色いツボのような形をしていた)。盆商品(菊の花か何か)を売るために店が使ってるんだね、と僕は思った。他に買い物かごが見つからないので、その水がたまった買い物かごを強引に使おうと思って、僕は2つある水がたまった買い物かごの1つを手に取ってふたを開け、中の水を隣の買い物かごに移した。でもやっぱりかごの底やフチが水にぬれていて汚いので、その買い物かごを使うのはやめて、別の普通の買い物かごを探すことにした。

店内を回ると、やっと通路の端っこに積んである普通の買い物かごを見つけた。かごを1つ取って、さて何を買おうか、と考えた。とにかく牛肉だ。アメリカのスーパーマーケットで買うものといえば、安くておいしい牛肉に決まっている。夢の世界で安くておいしい牛肉を買って、現実世界に持って帰って、妻をびっくりさせないといけない。僕が自分の夢の中のウインコでたくさん牛肉を買って、現実世界に持ち帰ると、妻はきっととてもびっくりして、そしてとても喜ぶはずだ。

そして僕は肉売り場に行った。肉売り場の手前に、サバとかマグロとかの魚の加工品売り場があった。煮て味付けまでされた魚が、真空パックに入ってたくさん売っている。僕は、「アイダホでもこんなのも売るようになったんだ、日本人が生活するにも便利になったな」、と思った。牛肉売り場では大男が5人くらいたまっていて、どの肉を買うか相談していた。彼らはとても邪魔だったが、しばらく動きそうになかった。僕は仕方がないので、彼らの隣から何とか陳列棚に並んでいる牛肉を見た。

たくさん安い牛肉が売っている。でも安すぎる。すごく大きな、2sくらいある座布団のような肉が200円。これは肉なのか?あまりにも安すぎる。きっと見た目は肉だが、実際は肉と段ボールが混ざってたり、何か変な合成肉(たとえば食用ミミズやネズミのミンチのようなもの?)かもしれない。買うのはやめておこう。やっぱり買うなら、しっかりした、ある程度値段の張る、きっちりBeef Steakと書かれた牛肉ステーキじゃないと。

そこで、ステーキ肉を見ると、1切れ500円程度のステーキがけっこうある。意外と高いな。もっと安かった気もするけどな。まあ日本よりは安いかな。安くておいしい肉を買うことも大切だけど、とにかくこれは壮大な実験なので、「何でもよいから何か買う」ことが一番大切だ。とは思いながら、なかなか買う肉を決められず、次に肉コーナーの横にある仏壇コーナーの肉を見に行った。そこでは仏壇が1つ置いてあり、その仏壇に肉がたくさん供えられている。値段の付いていない肉は純粋な供え物なので買うことはできないが、値段の付いている肉は仏壇に供えられていても買うことができる。僕は仏壇コーナーの肉をいろいろ物色してみたが、どれもさっきの肉売り場よりも高い。ちょっと高くて買いづらい。次に僕は、仏壇の隣の押入れのふすまを開けて押入れの中を見てみる。この押入れの中には、布団に紛れて肉の在庫が詰まっているはずだ。これも客が買うことができる。その押入れには、激安段ボール肉(と僕が仮に呼んでいる、安すぎて出自のわからない肉のようなもの)や、高いステーキがたくさんあった。やっぱりおいしそうなステーキは高く、ややこしい肉は安いな。

僕は押入れの中の高いステーキを、ひとまずいくつか買い物かごに入れる。後でもっと良い肉があれば、こっちの肉を棚に戻してそっちを買えばいい。今はまず、買い物かごの中に商品を入れてキープすることが大事だ。

肉をいくつか買い物かごに入れたので、次に牛乳コーナーの方に移動したかったが、途中で人が詰まっていて移動できない。通路が狭く、こっちから向こうに行きたい客と、向こうからこっちに来たい客がそれぞれ3人ずつくらい、狭い通路でつっかえて詰まっている。僕はその渋滞が解消されるのを待ってから、なんとか牛乳コーナーの方に移動した。牛乳コーナーに行き着く前に、もう一度ステーキを見てみたくなったので、途中で通路を右に曲がってスリッパコーナーの方に抜けて、ぐるっと回って先ほどの肉売り場に戻った。

今度は肉が陳列棚にほとんどない。かなり売れてしまっている。仏壇コーナーにもめぼしい肉が無いし、仏壇の横の押入れの中にも肉がほとんどない。きっとお客さんにたくさん買われてしまったんだろう。

まあいいか。今買い物かごに入っている肉だけ買って、これで帰ろう。現実の世界に。

レジに向かって歩いていくと、閉め切られた北側入り口付近の床に、2000円くらいのすごくおいしそうな肉が落ちている。あーあ、誰かが落としたんだな。おいしそうだな。でも高いな。そして落ちてるし、まあこれはやめておこう。

僕はふと思い立って、レジに行く前に妻に電話をすることにした。

今から僕がしようとしていることは、とても難しい実験なので、失敗するかもしれない。何しろ夢の世界のスーパーマーケットで買ったステーキ3ー4個を、現実世界に持って帰ろうとしてるんだから。かなり難しいことにチャレンジしている。失敗も覚悟する必要がある。だからその前に、ひとまず妻に電話だけかけておこう。

僕の夢の中の僕が、現実世界の妻に、電話を掛ける実験。

そっちの方が肉を持ち出すよりはおそらくちょっとは成功率が高い。たとえ僕のステーキ持ち帰り実験が失敗に終わっても、この通話実験さえ成功させておけば、少なくとも現実世界の妻が、夢の中の僕と電話で会話したことを証言してくれる。物的証拠が無いのは痛いけれど、第3者が夢と現実のリンクを証明してくれることは、僕にとってとても重要だ。

僕は携帯で電話を掛けると、なんと3コールくらいで、全く普通に妻が出た。あっけなく夢から現実への電話連絡実験は成功した。

僕は妻に、今、自分の夢の中でウインコにいることを説明して、お肉を買って現実世界に帰ると言った。妻は喜んだが、別にこの特殊なシチュエーションに対して驚きもしていないようだった。妻は、「肉を買って帰るなら、ウインコはレジを通す前に商品を外に持ち出せるから、車に持って行って重さを測ったら良いよ」、と言った。店の外の駐車場には、僕のマツダの白の車が停まっている。僕は、ウインコって肉とかお金を払う前に持ち出せたっけ?と思った。言われてみればそうだった気もするけど、僕はもう何年もウインコに行っていないのであまり覚えていない。レジを通さず商品を外に持ち出して、もしそのまま客が帰っちゃったらどうするんだろう?まあ、今回は、値段がちゃんとわかってるから重さをはかる必要は無い。僕にはもっと大切な使命があるので、ややこしいことはせず、このままレジに行こう、と僕は電話で妻と話しながら思った。

電話中、妻が僕の言葉を聞き取れなかったり、電波状態がおかしく雑音が入ることが何度かあった。僕はその都度、夢の世界と現実の世界の間の接続が切れそうで、心配でたまらなかった。夢の世界と現実世界は近くて遠いし、電波事情がどうなっているのかわからないので、僕は電話中、電話接続が切れないかどうかだけがとにかく心配だった。早く要件を伝えて電話を切らないと、自分で電話を切る前に夢と現実の回線が切断されたら、ややこしいことになるかもしれない。用件のみで早めに電話を切り上げないと。

そこで僕は、通話の締めに入った。じゃあこれから、この自分の夢の中のウインコで買った物を、現実の宮崎の世界に持って帰るよ。これからレジを通して、そして目覚めることにするから・・・・

と、電話でここまで言った瞬間・・・

僕の記憶が急激にモヤモヤと薄れて、とても強引に僕は現実に連れ戻された。

僕の意識が急にモヤモヤの霧に覆われながら、「やばい!やばい!現実に引き戻される!」と一瞬思った。


時間にして1秒未満の、とても短い、とても不愉快な、モヤモヤとした濃霧のような精神の壁を通り抜けて、僕は宮崎のアパートの布団で目を開けた。
枕もとの携帯電話で時間を確認する。朝の5時38分。
ついさっきの瞬間までウインコの買い物かごを握りしめていたが、買い物かごも肉も、持って来れなかったことを確認する。レジを通してないから仕方ない。
ついでに、さっきまで夢の中の僕と電話で会話していたはずの妻が、隣で寝ていることも確認する。

実験失敗。外は少し明るくなってきていた。